2011年3月28日月曜日

川崎大師のステンドグラス?

前回のブログに続き、川崎大師ことを書こうと思う。

すぐに本題を書きたいのだが、ちょっとだけ余談から入りたい。

「おやじ、涅槃(ねはん)で待つ」と言って、自らこの世を去った俳優の沖雅也さん。もう28年も前の話だ。

この時まだ中学生の筆者は初めて「涅槃」という言葉を知った。言葉を知っただけであって、意味を知るのはずっと後になってからだ。

そして、最近、仏像の本を読んでいるときに「涅槃」という文字に再会した。

「ん? ねはんぶつ?」

興味をそそられ、さらに書を進めると、横たわった仏像の写真が出てきた。

以前、テレビでタイにでっかい横たわった仏像が紹介されていたことがあって、そういう像があるのは知っていた。

その写真は、そのテレビで見たのと姿かたちは一緒だった。

さらに読み進め、お釈迦様が入滅する時の様子を「涅槃図」や「涅槃仏」で表現することを知った。

ふーん・・・面白いなぁって感じで、この世界はホント奥が深く興味が尽きない・・・。

さて、長くなったが、本題に入る。

川崎大師には、結婚式なども行われたりする「信徒会館」という建物がある。

そこの1階には、立派なステンドグラスの絵図がある、が、正直なところどんな絵が描かれているかなんて全く知らなかった。

しかもステンドグラスというと、どこか西洋を創造させ、仏教というよりはキリスト教的なイメージを筆者は勝手に持っていて、そのアンマッチ感がどこか気に入らなかった。

ところが、昨今、仏教・仏像に興味を持ち始めてから、その考えを改めて、ちゃんとそのステンドグラスの絵図を見ようと思った。

そしたら、その「涅槃図」が描かれていたのである。


 ▲川崎大師、信徒会館1階の「涅槃図」。この左側には「成道図」がある。


この「涅槃図」を観ながら、「やっぱり、仏教だ…」と感動したのである。

筆者にとっては身近な川崎大師だが、今まで知らなかったこと、気づかなかったことだらけだ。

実は、まだまだ調べてみたい像や建物が川崎大師にはある。

これから徐々に勉強して、このブログでも紹介していきたい。

2011年3月27日日曜日

新発見!! 川崎大師の大山門

昨日(3/26)、久しぶりにカメラをぶら下げて、散歩に出た。

お寺や仏像に興味を持ち始めてからは、地元の川崎大師(平間寺)には、顔を出していない。

幼少の頃から数えきれないほど訪れている川崎大師だが、あまりに近すぎて「いつでも行けるわ」感覚になっていたのは事実だ。

昨秋以来、いろいろなお寺を拝観し、仏像に関してもちょっとは知識も蓄積されてきたが、筆者の知識にまた一つ意外な事実が加わった。

意外な事実と書いたが、単なる勉強不足であるかもしれないので、知ってる人はスルー願います。

大きなお寺には、山門とか南門とか南大門とか、呼ばれ方はいろいろあるが、正門がある。

その正門には、たいがい阿吽の仁王像がお寺を守っているのが普通だ。

今までこのブログでも書いてきた、九品仏浄真寺、称名寺、弘明寺などもいずれも仁王像がそびえたつ。奈良・東大寺の仁王像は有名だ。

「そういえば、川崎大師の仁王像ってちゃんと見たことないなぁ」

立派な門があり、そこに像が立っているのは知っていたが、仁王像はちゃんと見たことがなかった。


 ▲川崎大師の大山門。昭和52年に建立された
 
ニコニコしながら門の所まで行く。

どれどれ・・・と覗き見ると、なんか様子が変だ。筆者が知っている仁王像ではない。

「もしや」と思い、顔から胴、足元へと目線を落とす。

やっぱり・・・

足元には「邪鬼」が踏まれている。

そして、その横には「増長天」と表示されていた。

すこぶる感動した。

なんと、川崎大師の大山門には、四天王像が安置されているのだ。

もちろん4体ある。

「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」。京都・東寺の四天王像を模しているそうだ。



実は、筆者は4月15日に京都に行く予定であったが、残念ながら昨今の情勢で中止した。

京都で一番訪れたかったのが東寺であったが、この世界はいろいろなところで繋がっていることを実感した。

近い将来、東寺の四天王像を観る時、川崎大師の四天王像を思い出すこと間違いなしであろう。

川崎大師・平間寺に関しては、このブログではちょいちょい書いていきたいと思う。

2011年3月19日土曜日

停電

おととい(3/17)のことである。
東京電力が計画停電の実施を発表してから3日目にして、はじめてわが街川崎(川崎区)が計画通りに停電となった。

初めての停電は夜だった。
停電中に帰宅したが、あたりは真っ暗。

その中で月だけがいつもより、何十倍も美しく輝いている。

目が暗さに慣れてくると、月明かりだけでもかなり明るさであることに気付く。

「新月だったら、本当に真っ暗なんだろうなぁ」

停電によって、電気のありがたみを改めて感じることができたわけだ。

今、被災地で頑張っている人たちに比べれば、停電なんてなんてことはない。

一日も早く多くの人たちが、普通の生活が送れるよう願わずにはいられない。

2011年3月12日土曜日

何のための携帯電話?

びっくりした。はっきり言って、ちびった。

ニュージーランドの震災が記憶に新しすぎるので、最悪の事態までもイメージしてしまった。

筆者は、会社にいるときに今回の地震に遭遇した。

会社では、安全担当ということもあり、地震直後から翌日(今日)の10時半ごろまでは社内で対応・待機などで慌ただしかったが、周りのみんなから入る情報やプライベートの友人などから届くメールでは、それぞれに大変な思いをしたようだ。

一番の苦労は「交通網のマヒ」による帰宅困難であろう。

会社の同僚(M嬢)は、社外のセミナー参加していて、外出先の都心で地震にあった。

M嬢は本来、会社からは歩いても帰宅できる人なので、なんとも運が悪い。本人から10時ごろに会社にかかってきた電話では、一人居酒屋で朝方まで時間をつぶすようなことを言っていた。

夜半から一部電車が走りだし、M嬢は夜中に帰宅できたようだが、彼女の旦那さんは歩いて5時間かけて帰宅したそうだ。

わが弟も歩いて6時間かけて帰宅したらしいし、友達数人からも「帰れない」「まだ会社」と言った愚痴メールが数本飛んできた。

筆者自身は、上記のとおり仕事の関係から地震直後の状況から、「今日は徹夜だな」と会社で夜を明かすことは覚悟していたので、帰宅に関しては苦労はないのだが、あえて愚痴るとすると「通信網のマヒ」である。

理屈は分かるのだが、大参事の時ほどその機能が発揮されないのでは、何のための通信システムなのかを問いたくなる。

連絡を取りたい人に連絡が取れない時ほどの不安は何とも形容しがたいし、不安が苛立ちに代わり、さらには怒りに代わってくる。

震災発生が夕方の3時半ごろで、まともに携帯が通じ始めたのは翌日の明け方だ。その間もちろんちょくちょく通じたりはしたが、あまりにも酷いと思った。

テレビで観る東北地方の惨状や現地の方々の苦労を思えば、交通や通信のマヒのことをのんきに愚痴っている自分が恥ずかしくなるが、大きな問題であると切に感じたことは事実。このブログに残しておきたい。

2011年3月9日水曜日

横浜最古の寺、弘明寺 Part2(最終回)

本堂に向かう急な階段を上りきると前々には堂々とした本堂が見える。

素人目に見ても立派なお堂で、龍の彫刻などがあしらわれている。1044年の建立で当時の古材が床板として使用されているとのことだ。

  



本尊の十一面観音像は、この本堂に安置されているが、お賽銭箱のずぅーーーーっと奥にその姿がちらっと見えるだけで、近くで見られなかったのが残念だった。

本堂の右手には、鐘楼があり梵鐘を近くで見ることができる。

この梵鐘は比較的新しく1798年製とのことだ。



  梵鐘から本堂を眺める

さらに階段を上ったすぐ左側には、霊石として信仰を集めている「七つ石」と云われる文字通り7つの石が大事そうに囲われている。


  「七つ石」


本堂に向かって右手側には、「聖天堂」と呼ばれる小さなお堂がある。

ここには、弘法大師自らが彫ったといわれてる「聖天(大聖歓喜天)像」が安置れているが、こちらも残念ながら観ることはできなかった。



 
この日は久々に暖かい休日で、ざーさんも楽しく写真を撮ることができた。

まぁ、写真の腕前はまだまだだけれどね・・・。


【横浜最古の寺、弘明寺(完)】

2011年3月8日火曜日

母の病気・・・

ざーさんの両親はまだ健在だが、父も母も病人である。

病人といっても重篤ではなく、父は糖尿病(1年ほど前に脳梗塞を患って入院先の病院の検査で糖尿病が発覚した)で、母は喘息と中耳炎(正確な名称は不明・・・)といった感じだ。

その母が、数日前に激しいめまいと頭痛を訴えたのだが、耳の病気が原因の可能性があると思い、耳鼻科の主治医に掛かるよう母に伝え、母はその通りにした。(ざーさんはメニエール病を一瞬疑った)

そのとき先生は、「様子を見ましょう」ということで、その日は何もせずそのまま母を帰した。

ところが昨日、また母が同じ症状を訴えた。

もしかしたらこれは脳かも・・・と不安になり、今日は脳神経科掛かることにし、ざーさんも今日は病院に付き添った。

病院では、まず自動血圧計で血圧を計測を指示された。

びっくりするような数字だった。

話が変わるのだが、ざーさんは会社では安全・衛生の仕事を担当しており、社員の健康管理も業務の一つとなっている。

ざーさんのデスクは健康管理室にあり、普段から医療専門職と一緒に仕事をしている。その関係もあり、血圧のこととか生活習慣病のことに関しての知識はそれなりに理解しているつもりだ。

なので、そのびっくりするような数字には本当にびっくりしてしまった。

ちょっと前にこのブログにも登場してもらったM嬢(医療専門職)が血圧を測って、そんなに血圧が高い社員がいたら「仕事してる場合じゃない。いますぐ病院に行きなさい!」と叱られるほどの数字だった。

M嬢やA嬢(医療専門職)が普段社員の血圧を測定して、その数値が高いと「深呼吸をしてもう1回測りましょう」とよく言っているので、母に「2、3回深呼吸してから測ってみようよ」と言って再度測定した。

若干は下がったけど、それでも高すぎる。

「これじゃ、めいもするわ」

母は血圧に関してはもともと正常だったので、原因が何かは知りたかったが、まずは脳神経科に来ているので、脳のCTスキャンを撮ってもらう。

幸い脳には異常は見当たらず、一番心配していたことは杞憂に終わった。

降圧剤をその場で飲まされ、再度診察するまでの30分の時間があったが、その間に母に血圧が上がってしまった理由を先生に聞くようにアドバイスした。

結局、血圧が上がる理由はいろいろある…とのことで原因は特定されず、来週、喘息の主治医を相談することで、今日の診察は終わった。

とりあえずめまいや頭痛の症状は、原因が高血圧であれば、薬抑えられるので今日のところは安心した次第である。

でも、いままで正常だった血圧がなんで血圧が高くなってしまったんだろう? 

やっぱり気苦労が多いんだろうなぁ・・・。

2011年3月7日月曜日

横浜最古の寺、弘明寺 Part1

2011年3月5日土曜日、横浜市内で最古の寺院である弘明寺(弘明寺)に行ってきた。

弘明寺は、かつては広大な敷地を有していたが、廃仏毀釈でその大半を市に譲渡し、いまではかつての2割ほどのスペースとなっているようである。

弘明寺は京浜急行本線の「弘明寺駅」から徒歩数分のところに位置する。

駅から下り坂をてくてく歩くとその街並からは若干アンマッチな雰囲気で仁王門が現れる。


  右手の坂の上に弘明寺駅がある

仁王門には、弘明寺での山号である「瑞應山(ずいおうざん)」の力強い書体が目立つ。

仁王門には例のごとく、阿吽の2体の仁王像が安置されている。


  弘明寺・仁王門の「吽形」
 
仁王門をくぐるとすぐ急な階段が目に入ってくるが、それよりもざーさんの目を引いたのは、6体のお地蔵さんだ。

どこかで見た傾向に似ている。そう、九品仏浄真寺で見た6体のお地蔵さんだ。

後で調べてみたら、6体のお地蔵さんにはちゃんと意味があるらしいのだが、それについてはまたいつかの機会に書いてみたい。


  本堂に向かう階段とお地蔵さん

わくわくしながら階段を上り始めると、左手にちょっとしたスペースがあり、そこには銅製か真鍮製かは不明だが、身代地蔵尊が立っている。



このお地蔵さんは、平成13年に創立100周年を迎えた京浜急行電鉄から寄贈されたとのことである。

身代わり地蔵尊を後にし、いよいよ階段の上を目指す・・・。


 (続)

2011年3月6日日曜日

浄真寺(九品仏)に行ってきましたPART4(最終回)

本尊の釈迦如来様を拝み終え、本堂を背にするとその正面には、3つのお堂が見える。


  写真ではわかりづらいが3つのお堂が本堂正面に位置する

その3つのお堂にはそれぞれ3体の阿弥陀如来坐像が安置されているとのことは事前に知っていた。

3つのお堂に3体筒というわけで計9体となるわけであるが、それにはちゃんとした意味がある。

ウィキペディアによれば、「九品」とは物質や人の性質を3×3で分類したもので、まずは大きく「上品(じょうぼん)」「中品(ちゅうぼん)」「下品(げぼん)」と分け、さらにそれぞれに「上中下」と分けるとのこと。

つまり「上上品、上中本、(中略)、下中本、下下品」の計9分類となって、さらに仏教では「上上品」と「上品上生(じょうぼんじょうしょう)、(・・・中略・・・)、下品下生(げぼんげしょう)」となるらしい。

ちゃんと一つひとつに意味があるのだが、その意味はウィキペディアご参照。


  言うまでもないが右から読んで「じょうぼんじょうしょう」


 
   真中が「上生」で、右に「中」、左に「下」と配置される

お堂の中をそっと覗いてみる。

わぉ、これまたおっきい仏様だ。頭の位置までは3メートル弱ぐらいあるらしい。

しかも螺髪(らほつ)と呼ばれるパンチパーマみたいな髪が鮮やかなブルーに染められている。

一体一体の違いをじっくりとみてみると、手の位置が全部違う。

鎌倉の大仏様のように両手をおへそあたりで組む仏様もいれば、奈良の大仏様のような仏様もいる。

福山雅治のドラマではないが「実に面白い」。

3つのお堂を行ったり来たりして、なんども9体の阿弥陀如来坐像を見比べてしまった。

かくして九品仏浄真寺を一周し、ますますお寺や仏像の魅せられたのであった。

次はどこを観にいこうかなぁ。


(九品仏浄真寺・完)


2011年3月2日水曜日

浄真寺(九品仏)に行ってきましたPART3

仁王門の先には、美しい境内が広がる。

称名寺のところでも書いたが、やはり冬ではなく、新緑の候、新涼の候にはさらに美しい景観を見せてくれるだろう。

歩を進めると右手に本堂が横顔を目てくれる。


  本堂の右手側から

本堂の正面に回ろうとすると、すぐに立派なイチョウの木が見える。

よく見ると「九品仏のイチョウ」と書いてある。東京都指定の天然記念物だそうだ。


他のサイトによれば、この木は「衰退の兆候」があるらしいが、素人目には存在感は高く、とても衰えていってるようには見えない。

 

浄真寺には、他にも都指定のカヤの巨樹もあるそうで、残念ながら見逃した。

イチョウを見ていると視界には本堂正面が入ってくる。

奈良で観た大寺の本堂にも引けを取らない(と言ったら言い過ぎだが・・・)、立派なお堂である。



極めて少額のお賽銭を入れ、本堂に安置されているご本尊の釈迦如来像に「〇〇〇〇〇」と祈願する。

ご本尊の釈迦如来坐像は、外からガラス越しではあるが観ることができる。

そぉーとガラスに手を当てて光をさえぎり、ご本尊様を観る。

うぉーーーーーーーーーーーー。 び っ く り し た ぁ ~。

で、でかい。イメージしたより、で・か・い。

そして豪華というか、ざーさんの乏しい語彙では表現ができないのがもどかしい。

大きさでは、奈良・薬師寺の薬師如来坐像ぐらいだろうか。いや、もっと大きいかもしれない。

少額の賽銭で、図々しい願いをした自分が恥ずかしい・・・。

そんな図々しさをよそに今日ここに来てよかったぁ・・・とまだメインのあの仏像たちを観る前に思ってしまった。

そして、M嬢(会社の同僚)に感謝した次第である。


  九品仏境内の梅の花(写真下手くそですみません)


(続)