2011年6月22日水曜日

発覚! 頸椎椎間板ヘルニア

左手の痺れの原因がはっきりした。昨日、MRIを受けたのだ。

検査の結果を先生に聞くのだが、まずは目の前にスケルトン状態の自分の上半身が映し出されていた。

「ここが頸椎で、6番目と7番目の骨の間の神経がやられるね」

何ともあっけなくいう。

「ヘルニアですね」

とほほ・・・ヘルニアは治りにくいとの事前情報を得ていたので、自分が実際に診断されるとショックだ。

まぁ、焦らずにヘルニアちゃんとは付き合うことにしよう。

2011年6月18日土曜日

ビリヤードしたいよう!

左手は相変わらずだ。

残念ながら趣味のビリヤードやお寺巡りも今はお休みだが、でも、悲観ばかりしていても仕方ない。

というわけで、このブログだけは短文でもいいから更新は頑張ろう!!

なんの脈略もないけど、僕のビリヤードやってる姿がなんとyoutubeで観られるので、ぜひ観てね!!

http://www.youtube.com/watch?v=ZlAG3hjQkeM

↑ 結構頑張りました。

2011年6月11日土曜日

困ったもんだぁ・・・

久しぶりのブログ投稿。

前のブログで、左手の指がしびれていかんともしがたいという話を書いた。

あれ以来状況は改善されていないどころか、悪化の一途をたどっている。

いかんせんパソコンを打つこともままなららないので、このブログの更新もさぼりがち。

趣味のビリヤードも、お寺参りして写真をとることもできない(正確には「できない」のではなくて、長い時間手を使えないので、とちゅうでつまんなくなっちゃう・・・)。

ストレスが溜まる一方だ。

来週、精密検査をすることになっているが、一体どうなってしまうんだろう。


 ▲今度は、奈良の大仏様にお願いしよう・・・どうか僕の左手がよくなりますように。
  (2010.9.28撮影、奈良一人旅にて)

2011年5月21日土曜日

どうした俺の左手っ!

先週の日曜日の夕方、ふとした瞬間に左手の人差し指が「ピリッ」とした。

むむむ・・・なんだこりゃ?

寝るまでしびれが続いたが、寝れば治るべ・・・と楽観していた。

ところが翌朝、しびれが取れていない。

それどころか昨日よりひどくなっていて、しかも左の肩甲骨から左腕にかけて痛みを感じるようになっていた。

こんな症状は生まれてはじめてだったから、戸惑いを隠せなかったのだが、湿布などを張ってなんとかその日の仕事を乗り切った。

発症から2日後、症状はますます悪くなっている。

こりゃ、たまらん…ってことで、しごとを途中で切るあげさせてもらって、病院に行った。

診察後、手と首のレントゲンを撮った。

首の骨の間を通っている神経がひっ迫されいる可能性がある。手も手首の靭帯が神経をひっ迫している可能性がある・・・最悪は手術もある・・・

あわわぁぁ・・・。し ゅ じ ゅ つ ???

とりあえず痛み止めなどの薬を処方され様子をみようということになった。

そして、様子をみてから4日後の今日、症状はよくなっていない。今、パソコン打っているが右手一本で打っている。

来週の病院に行くことにしたが、どうなっちゃうんだろう・・・俺の手?

これじゃぁ、大好きなビリヤードもできない。カメラを持って出かけることもできない。

再来週のゴルフコンペは参加できるんだろうか?

不安が募るばかりだ・・・・・・・・・・。


  ▲薬師如来様ぁ、僕の左手を治して~
     (奈良・薬師寺のご本尊、薬師如来像)

2011年5月15日日曜日

感動の反省会

筆者の趣味はビリヤードである。

一時中断は何度かあるが、トータルで20年近くは続けており、今は地元川崎の某有名プロが経営しているビリヤード場に週末に顔を出している。

で、そのビリヤード場の常連さんたち8人でチームを作り、ゆくゆくはラスベガスで決勝戦が行われるという大会の予選に参加した。(その大会の詳細は、「JPA」で検索するとすぐ出てきます)

微力ながら筆者がリーダーとなって、2月中旬から先日まで長い長いリーグ戦を戦ってきたのだが、残念ながら、微差で次のステップに進出できず、予選敗退となってしまった。

チームの話をするといろんな思いがあり、長くなるので割愛するが、予選敗退が決まって、反省会(要は飲み会)を実施することになり、昨日開催した。

2か月半一緒に戦ってきただけあって、27歳から57歳までという年齢差があるチームの結束力は高まっていたため、飲み会は大変楽しく時間が過ぎて行った。

するとある年配のチームメイトから、「いままでリーダーとしていろいろお世話になったざーさん(筆者のあだ名)にみんなからお礼がある」と言ってくれて、女性のメンバー2人から花とビリヤード用具
をプレゼントされた。

「う、う、う・・・」

涙腺が人よりも5倍くらい弱い筆者は、今にも泣きそうになった。まさに感動の一瞬。

筆者は、自分自身が楽しんでみんなと一緒に戦ってきて、感謝されるようなことはしたつもりがなかっただけにこのサプライズは本当に嬉しかった。

このブログに残さないわけにはいかない・・・

みんな、またこのメンバーで戦おう! で、ラスベガスへ!!


 ▲みんなありがとう。本当に嬉しかったです

2011年5月5日木曜日

鎌倉ぶらり歩き(建長寺編)

円覚寺を後にして、明月院を観た後、鎌倉五山第一位に列せられる建長寺を訪れた。

建長寺の山号は「巨福山(こふくさん)」で、臨済宗建長寺の大本山である。

鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した我が国初の禅寺とのこと。時頼は権力者として経済的に建長寺を支え、自らも出家して全国的に禅宗を広めたらしい。


 ▲総門。山号から「巨福門」とも呼ばれるらしい


 ▲三門(重要文化財)。よく山門と聞くが、この門の三門は三解脱門の略で
   別名「狸の三門」とも呼ばれるらしい。それはこの寺で育てられた古狸が
   僧侶に化けて住職の化縁を助けて大活躍したという言い伝えから


 ▲三門には、建長寺の正式名称「建長興国禅寺」が堂々と


 ▲仏殿(重要文化財)。東京・増上寺から徳川二代将軍秀忠の正室で、今大河
   ドラマで話題のお江の方(崇源院)の霊屋を移築したものらしい


 ▲仏殿には本尊の「地蔵菩薩坐像」が安置されている。その風合いや目の開き
   方から堂々たる趣を感じた


 ▲仏殿の奥には「法堂(はっとう)」(重要文化財)が位置する。ここは住職が説法
   をする場所で、本来は仏像は祀らないのだが、今は千手観音像を祀っている


 ▲その千手観音坐像。本尊の地蔵菩薩像もそうだし、円覚寺の宝冠釈迦如来像
   もそうだったが、筆者が今まで見てきた仏様に比べると目が開いているなぁと感
   じだ。この違いはなんだろう。また調査の対象が増えた・・・

   
 ▲ツツジ越しに梵鐘(国宝)。重さ2.7トンもある


 ▲境内内にはいたるところに牡丹が咲き、参拝者の目を楽しませていた

2011年5月4日水曜日

鎌倉ぶらり歩き(円覚寺編)

また投稿に間が空いてしまった・・・。

ゴールデンウィークまっただ中。それなりに充実はしているのだが、どこにも出かけないまま終わってしまうのは心残りだ。

高尾山にも行きたいのだが、いまいち踏ん切りがつかない。

あ、鎌倉があったじゃん・・・。

というわけで昨日、鎌倉に行ってきた。

北鎌倉から鎌倉に抜けるコースを選び、円覚寺⇒明月院⇒建長寺⇒円応寺⇒鶴岡八幡宮⇒大巧寺⇒本覚寺⇒妙本寺⇒常栄寺と回ってきた。

今日の投稿は「円覚寺編」!

円覚寺は臨済宗のお寺さんで、山号は「瑞鹿山(ずいろくさん)」。正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)で、臨済宗円覚寺派の大本山である。

鎌倉五山の第二位に君臨する。



  ▲円覚寺山門。仁王像はないの?


 ▲仏殿。禅宗以外の宗派では本堂というが、円覚寺は禅宗の臨済宗。
       なので、仏殿と呼ぶ


 ▲本尊の宝冠釈迦如来坐像。撮影禁止ではなかったようなので、
   ノーフラッシュでパチリ。予備知識がなかったので、最初観たと
   きは、あまりのきらびやかさに観音様かなぁって思ったけど、
   如来様だった


 ▲「舎利殿」。神奈川県唯一の国宝建造物


 ▲市の天然記念物に指定されている、ビャクシン


 ▲こちらも国宝の「洪鐘(おおがね)」。鎌倉時代の代表的な
   梵鐘である

  
   ▲洪鐘を見るためにはちょっとした小山に上るが、そこからの景色

2011年4月21日木曜日

浅草寺パートⅡ

先のブログで浅草寺を参拝したことを書いたが、浅草寺ではたくさんの写真を撮った。

下手くそなりにお気に入りの何枚かが撮れたので、自己満でアップしたい。

 ▲本堂から五重塔。ちょうど鳩が横切りパチッ。

 ▲もう1枚本堂から五重塔。中国人らしいカップルが
   一生懸命ガイドを見ていたのが印象的

  ▲阿弥陀如来坐像を子供がパチリ。その姿をお母さんがパチリ。
    子供のパチりをパチるお母さんを筆者がパチる


  ▲身代り地蔵尊。この女性は膝が悪いのかな?

  ▲中央は地蔵菩薩坐像。奥の2体は「二尊仏」と呼ばれる。
   向かって右が「観音菩薩」、左が「勢至菩薩」。このペアは
   阿弥陀如来の脇侍としても有名

  ▲帰りの仲見世。この途中でお土産に雷おこしを買いました

2011年4月16日土曜日

浅草寺にお参りに行きました

久しぶりのブログ投稿!

今日は、天気がいいとのことで、久しぶりカメラをぶら下げてお出かけしよう!

本当は、昨日までは今日は高尾山にハイキングに行こうかなぁって思っていたのだが、花粉症なのか治りかけの風邪のせいなのか、咳がよく出たので、今日は高尾山はお預け。

その代わりに近場で浅草・浅草寺に行ってきた。

浅草寺は山号が「金龍山」で、「聖観世音菩薩」(秘仏)がご本尊である。



▲おなじみ「雷門」。向かって右に「風神」、左に「雷神」が安置されている。
  「雷門」の名の由来は、この風神雷神から。


お昼すぎに都営浅草線・浅草駅に着く。

まずは腹ごしらえと思い、浅草らしい食べ物屋さんを探す。

あてもなく、ふらふらしていると、ある人力車がとんかつ屋の前に止まって、お客さんに「ここのとんかつ屋さんはいろんな種類のとんかつがあって、しかもおいしんですよ」と説明しているのを盗み聞きしてしまった。

そのお店の名は「かつ吉」。

薄給の筆者にとってはかなりお高めだったが、こういう時は値段は気にしないことにしている。

そのお店の定番である「味噌とんかつ」を注文する。

う、う、うまい・・・。とにかく、うまい。

お店のおかあさんも気立てがよく、とても気持ちよく食事ができた。ぜひお勧めです。



 ▲50種類ものとんかつが楽しめる。次は「しそとんかつ」を食べよう。

さて、お腹も満たされて、いざ本堂に!

これ以降は、写真で紹介・・・。


 ▲雷門をくぐると「仲見世」が伸びる


  ▲仲見世の先には「宝蔵門」が構える。左右には仁王像が。
   ここが山門になり、「雷門」は総門になるらしい。


 ▲迫力ある本堂。本尊の「聖観世音菩薩」が安置されている。
   残念ながら秘仏なので、その姿は見ることができない。


  ▲庭園から五重塔

 
  ▲庭園には多くの草花が。写真の花は何だたっけ?

 
  ▲庭園から五重塔と東京スカイツリーのコラボ

 
  ▲浅草寺の境内には多くの仏様が見守ってくれている。
   写真は「勢至菩薩」。背景は建設中のスカイツリー。

2011年4月1日金曜日

夜の東郷寺のしだれ桜

桜の季節がやってきた!

分倍河原にある筆者の会社から、京王線各駅停車で3つ目の多磨霊園という駅の近くに、東郷寺というお寺さんがあって、その山門の前に素晴らしいしだれ桜があると同僚に聞いた。

いわゆる一般的な桜よりは開花が早いらしく、ちょうどこの時期が満開ということで、今日の会社帰りに寄ってみた。

駅から徒歩数分、坂道を下る途中に現れた山門。

山門は下から見上げる形になり、門の奥に限りなく真っ黒に近くなった夜空、幻想的なコントラストを演出している。

そして、さらに立派なしだれ桜が演出に演出を重ね、言葉を失ってしまった。

もうあたりは真っ暗になってしまい、桜の花びらがピンク色なのか白なのか桜色なのか、よくわからなかったが、晴れた昼間だったら、きっとその姿は今自分が見ているそれとは全然違うんだろうなぁ、と思った。



  ▲写真技術はまだまだですな

2011年3月28日月曜日

川崎大師のステンドグラス?

前回のブログに続き、川崎大師ことを書こうと思う。

すぐに本題を書きたいのだが、ちょっとだけ余談から入りたい。

「おやじ、涅槃(ねはん)で待つ」と言って、自らこの世を去った俳優の沖雅也さん。もう28年も前の話だ。

この時まだ中学生の筆者は初めて「涅槃」という言葉を知った。言葉を知っただけであって、意味を知るのはずっと後になってからだ。

そして、最近、仏像の本を読んでいるときに「涅槃」という文字に再会した。

「ん? ねはんぶつ?」

興味をそそられ、さらに書を進めると、横たわった仏像の写真が出てきた。

以前、テレビでタイにでっかい横たわった仏像が紹介されていたことがあって、そういう像があるのは知っていた。

その写真は、そのテレビで見たのと姿かたちは一緒だった。

さらに読み進め、お釈迦様が入滅する時の様子を「涅槃図」や「涅槃仏」で表現することを知った。

ふーん・・・面白いなぁって感じで、この世界はホント奥が深く興味が尽きない・・・。

さて、長くなったが、本題に入る。

川崎大師には、結婚式なども行われたりする「信徒会館」という建物がある。

そこの1階には、立派なステンドグラスの絵図がある、が、正直なところどんな絵が描かれているかなんて全く知らなかった。

しかもステンドグラスというと、どこか西洋を創造させ、仏教というよりはキリスト教的なイメージを筆者は勝手に持っていて、そのアンマッチ感がどこか気に入らなかった。

ところが、昨今、仏教・仏像に興味を持ち始めてから、その考えを改めて、ちゃんとそのステンドグラスの絵図を見ようと思った。

そしたら、その「涅槃図」が描かれていたのである。


 ▲川崎大師、信徒会館1階の「涅槃図」。この左側には「成道図」がある。


この「涅槃図」を観ながら、「やっぱり、仏教だ…」と感動したのである。

筆者にとっては身近な川崎大師だが、今まで知らなかったこと、気づかなかったことだらけだ。

実は、まだまだ調べてみたい像や建物が川崎大師にはある。

これから徐々に勉強して、このブログでも紹介していきたい。

2011年3月27日日曜日

新発見!! 川崎大師の大山門

昨日(3/26)、久しぶりにカメラをぶら下げて、散歩に出た。

お寺や仏像に興味を持ち始めてからは、地元の川崎大師(平間寺)には、顔を出していない。

幼少の頃から数えきれないほど訪れている川崎大師だが、あまりに近すぎて「いつでも行けるわ」感覚になっていたのは事実だ。

昨秋以来、いろいろなお寺を拝観し、仏像に関してもちょっとは知識も蓄積されてきたが、筆者の知識にまた一つ意外な事実が加わった。

意外な事実と書いたが、単なる勉強不足であるかもしれないので、知ってる人はスルー願います。

大きなお寺には、山門とか南門とか南大門とか、呼ばれ方はいろいろあるが、正門がある。

その正門には、たいがい阿吽の仁王像がお寺を守っているのが普通だ。

今までこのブログでも書いてきた、九品仏浄真寺、称名寺、弘明寺などもいずれも仁王像がそびえたつ。奈良・東大寺の仁王像は有名だ。

「そういえば、川崎大師の仁王像ってちゃんと見たことないなぁ」

立派な門があり、そこに像が立っているのは知っていたが、仁王像はちゃんと見たことがなかった。


 ▲川崎大師の大山門。昭和52年に建立された
 
ニコニコしながら門の所まで行く。

どれどれ・・・と覗き見ると、なんか様子が変だ。筆者が知っている仁王像ではない。

「もしや」と思い、顔から胴、足元へと目線を落とす。

やっぱり・・・

足元には「邪鬼」が踏まれている。

そして、その横には「増長天」と表示されていた。

すこぶる感動した。

なんと、川崎大師の大山門には、四天王像が安置されているのだ。

もちろん4体ある。

「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」。京都・東寺の四天王像を模しているそうだ。



実は、筆者は4月15日に京都に行く予定であったが、残念ながら昨今の情勢で中止した。

京都で一番訪れたかったのが東寺であったが、この世界はいろいろなところで繋がっていることを実感した。

近い将来、東寺の四天王像を観る時、川崎大師の四天王像を思い出すこと間違いなしであろう。

川崎大師・平間寺に関しては、このブログではちょいちょい書いていきたいと思う。

2011年3月19日土曜日

停電

おととい(3/17)のことである。
東京電力が計画停電の実施を発表してから3日目にして、はじめてわが街川崎(川崎区)が計画通りに停電となった。

初めての停電は夜だった。
停電中に帰宅したが、あたりは真っ暗。

その中で月だけがいつもより、何十倍も美しく輝いている。

目が暗さに慣れてくると、月明かりだけでもかなり明るさであることに気付く。

「新月だったら、本当に真っ暗なんだろうなぁ」

停電によって、電気のありがたみを改めて感じることができたわけだ。

今、被災地で頑張っている人たちに比べれば、停電なんてなんてことはない。

一日も早く多くの人たちが、普通の生活が送れるよう願わずにはいられない。

2011年3月12日土曜日

何のための携帯電話?

びっくりした。はっきり言って、ちびった。

ニュージーランドの震災が記憶に新しすぎるので、最悪の事態までもイメージしてしまった。

筆者は、会社にいるときに今回の地震に遭遇した。

会社では、安全担当ということもあり、地震直後から翌日(今日)の10時半ごろまでは社内で対応・待機などで慌ただしかったが、周りのみんなから入る情報やプライベートの友人などから届くメールでは、それぞれに大変な思いをしたようだ。

一番の苦労は「交通網のマヒ」による帰宅困難であろう。

会社の同僚(M嬢)は、社外のセミナー参加していて、外出先の都心で地震にあった。

M嬢は本来、会社からは歩いても帰宅できる人なので、なんとも運が悪い。本人から10時ごろに会社にかかってきた電話では、一人居酒屋で朝方まで時間をつぶすようなことを言っていた。

夜半から一部電車が走りだし、M嬢は夜中に帰宅できたようだが、彼女の旦那さんは歩いて5時間かけて帰宅したそうだ。

わが弟も歩いて6時間かけて帰宅したらしいし、友達数人からも「帰れない」「まだ会社」と言った愚痴メールが数本飛んできた。

筆者自身は、上記のとおり仕事の関係から地震直後の状況から、「今日は徹夜だな」と会社で夜を明かすことは覚悟していたので、帰宅に関しては苦労はないのだが、あえて愚痴るとすると「通信網のマヒ」である。

理屈は分かるのだが、大参事の時ほどその機能が発揮されないのでは、何のための通信システムなのかを問いたくなる。

連絡を取りたい人に連絡が取れない時ほどの不安は何とも形容しがたいし、不安が苛立ちに代わり、さらには怒りに代わってくる。

震災発生が夕方の3時半ごろで、まともに携帯が通じ始めたのは翌日の明け方だ。その間もちろんちょくちょく通じたりはしたが、あまりにも酷いと思った。

テレビで観る東北地方の惨状や現地の方々の苦労を思えば、交通や通信のマヒのことをのんきに愚痴っている自分が恥ずかしくなるが、大きな問題であると切に感じたことは事実。このブログに残しておきたい。

2011年3月9日水曜日

横浜最古の寺、弘明寺 Part2(最終回)

本堂に向かう急な階段を上りきると前々には堂々とした本堂が見える。

素人目に見ても立派なお堂で、龍の彫刻などがあしらわれている。1044年の建立で当時の古材が床板として使用されているとのことだ。

  



本尊の十一面観音像は、この本堂に安置されているが、お賽銭箱のずぅーーーーっと奥にその姿がちらっと見えるだけで、近くで見られなかったのが残念だった。

本堂の右手には、鐘楼があり梵鐘を近くで見ることができる。

この梵鐘は比較的新しく1798年製とのことだ。



  梵鐘から本堂を眺める

さらに階段を上ったすぐ左側には、霊石として信仰を集めている「七つ石」と云われる文字通り7つの石が大事そうに囲われている。


  「七つ石」


本堂に向かって右手側には、「聖天堂」と呼ばれる小さなお堂がある。

ここには、弘法大師自らが彫ったといわれてる「聖天(大聖歓喜天)像」が安置れているが、こちらも残念ながら観ることはできなかった。



 
この日は久々に暖かい休日で、ざーさんも楽しく写真を撮ることができた。

まぁ、写真の腕前はまだまだだけれどね・・・。


【横浜最古の寺、弘明寺(完)】

2011年3月8日火曜日

母の病気・・・

ざーさんの両親はまだ健在だが、父も母も病人である。

病人といっても重篤ではなく、父は糖尿病(1年ほど前に脳梗塞を患って入院先の病院の検査で糖尿病が発覚した)で、母は喘息と中耳炎(正確な名称は不明・・・)といった感じだ。

その母が、数日前に激しいめまいと頭痛を訴えたのだが、耳の病気が原因の可能性があると思い、耳鼻科の主治医に掛かるよう母に伝え、母はその通りにした。(ざーさんはメニエール病を一瞬疑った)

そのとき先生は、「様子を見ましょう」ということで、その日は何もせずそのまま母を帰した。

ところが昨日、また母が同じ症状を訴えた。

もしかしたらこれは脳かも・・・と不安になり、今日は脳神経科掛かることにし、ざーさんも今日は病院に付き添った。

病院では、まず自動血圧計で血圧を計測を指示された。

びっくりするような数字だった。

話が変わるのだが、ざーさんは会社では安全・衛生の仕事を担当しており、社員の健康管理も業務の一つとなっている。

ざーさんのデスクは健康管理室にあり、普段から医療専門職と一緒に仕事をしている。その関係もあり、血圧のこととか生活習慣病のことに関しての知識はそれなりに理解しているつもりだ。

なので、そのびっくりするような数字には本当にびっくりしてしまった。

ちょっと前にこのブログにも登場してもらったM嬢(医療専門職)が血圧を測って、そんなに血圧が高い社員がいたら「仕事してる場合じゃない。いますぐ病院に行きなさい!」と叱られるほどの数字だった。

M嬢やA嬢(医療専門職)が普段社員の血圧を測定して、その数値が高いと「深呼吸をしてもう1回測りましょう」とよく言っているので、母に「2、3回深呼吸してから測ってみようよ」と言って再度測定した。

若干は下がったけど、それでも高すぎる。

「これじゃ、めいもするわ」

母は血圧に関してはもともと正常だったので、原因が何かは知りたかったが、まずは脳神経科に来ているので、脳のCTスキャンを撮ってもらう。

幸い脳には異常は見当たらず、一番心配していたことは杞憂に終わった。

降圧剤をその場で飲まされ、再度診察するまでの30分の時間があったが、その間に母に血圧が上がってしまった理由を先生に聞くようにアドバイスした。

結局、血圧が上がる理由はいろいろある…とのことで原因は特定されず、来週、喘息の主治医を相談することで、今日の診察は終わった。

とりあえずめまいや頭痛の症状は、原因が高血圧であれば、薬抑えられるので今日のところは安心した次第である。

でも、いままで正常だった血圧がなんで血圧が高くなってしまったんだろう? 

やっぱり気苦労が多いんだろうなぁ・・・。

2011年3月7日月曜日

横浜最古の寺、弘明寺 Part1

2011年3月5日土曜日、横浜市内で最古の寺院である弘明寺(弘明寺)に行ってきた。

弘明寺は、かつては広大な敷地を有していたが、廃仏毀釈でその大半を市に譲渡し、いまではかつての2割ほどのスペースとなっているようである。

弘明寺は京浜急行本線の「弘明寺駅」から徒歩数分のところに位置する。

駅から下り坂をてくてく歩くとその街並からは若干アンマッチな雰囲気で仁王門が現れる。


  右手の坂の上に弘明寺駅がある

仁王門には、弘明寺での山号である「瑞應山(ずいおうざん)」の力強い書体が目立つ。

仁王門には例のごとく、阿吽の2体の仁王像が安置されている。


  弘明寺・仁王門の「吽形」
 
仁王門をくぐるとすぐ急な階段が目に入ってくるが、それよりもざーさんの目を引いたのは、6体のお地蔵さんだ。

どこかで見た傾向に似ている。そう、九品仏浄真寺で見た6体のお地蔵さんだ。

後で調べてみたら、6体のお地蔵さんにはちゃんと意味があるらしいのだが、それについてはまたいつかの機会に書いてみたい。


  本堂に向かう階段とお地蔵さん

わくわくしながら階段を上り始めると、左手にちょっとしたスペースがあり、そこには銅製か真鍮製かは不明だが、身代地蔵尊が立っている。



このお地蔵さんは、平成13年に創立100周年を迎えた京浜急行電鉄から寄贈されたとのことである。

身代わり地蔵尊を後にし、いよいよ階段の上を目指す・・・。


 (続)